予知能力は、人を幸せにするのだろうか?
「人の将来は見える。しかし自分の将来は見えない。」この小説の主人公、千泉の能力である。この能力はいつから身についたのだろうか。千泉は、「神さんが入ったのよ。一度目は5歳の時、二回目は7歳の時。二回目ではっきりと自覚したわ。」そう語る。
千泉は昭和11年、大阪の裕福な家庭に生まれた。父は商いを熱心にやっていた。母は大変美しく、やがて弟が生まれ、4人家族で仲睦まじく暮らしていた。千泉は3歳から三味線と舞踊を始めた。あっという間に上達し、母はもちろん父も「千泉は芸の世界にいくだろう」そう感じていた。しかし父は兵役に就くことになり、戦死する。商いは父方の親族に引き継がれた。残された母は、愛情深く子供達を育てるが、病で亡くなってしまう。こうして千泉は7歳で両親を失った。千泉と弟は、母方の祖父にひきとられた。
祖父に連れられて、大阪から西へ向う。両親を失い、住み慣れた大阪を離れる時、千泉はどれほど寂しかったであろうか。まだ幼い弟は、大きな駅や鉄道に興奮し、祖父と無邪気に遊んでいる。大阪を出た一行は、軍都・広島を経由し、母の故郷に向う。昭和18年、終戦の2年前であった。戦争の影響を受けていない日本人はいなかった。祖父と遊ぶことに飽きた弟は、泣き出した。母が恋しい。千泉は弟を抱きしめ、「おねえちゃんがいるから、だいじょうぶよ」と慰める。千泉はお嬢さんとして育てられた。ひもじい思いなんてしたこともなかった。このかわいい弟が、まさか栄養失調で死ぬとは、想像することもできなかった。
母の実家では、祖母が待っていた。といっても、実の祖母ではない。実の祖母が亡くなった後、祖父は若い女性と再婚した。祖父の後妻は、千泉に「私はおばあちゃんじゃない、おかあさんと呼びなさい」と言った。「おかあさん」は、自分で子供を生んだ経験、子育てをした経験がなかった。そのため、たいそう厳しく千泉を教育した。幼い子供には、できることとできないことがある。今はできなくても、いずれできるようになっていく、それを待つのが子育てである。しかし、祖父の後妻は、加減というものを知らなかった。
千泉は祖父にひきとられて以降、働きづめに働いた。裕福な家庭に生まれ、三味線や舞踊に夢中だった女の子が、朝早くから炊事に洗濯にと働かされた。家の前には小さな田んぼがあったが、「おかあさん」は千泉ひとりに米作りをやらせた。田んぼには肥料として、糞尿がまかれていた。素足で入ると、足首がかゆくてたまらない。雑草はむしってもむしっても生えてくる。腰が痛くてたまらない。
炊事や洗濯、米作りだけではなかった。千泉にとって、もっとも辛かったのは、こんにゃく玉を売り歩くことだった。こんにゃく玉を背負うと、ポタポタと水が垂れてくる。背中がビショビショになり、寒くて体の芯まで冷えてしまう。ヌメヌメするし、においも独特だ。しかし売って帰らないと「おかあさん」に怒られる。千泉はインタビュー中、言葉に詰まると、何度もこんにゃく玉の話をした。よほど辛かったのだろう。
こんにゃく玉に比べれば、うさぎ追いは楽しかった。山でうさぎを追いかけるのは、女の子の仕事だった。大人がうさぎを捕まえて、夕食のご馳走になる。ふと谷底の小川を見ると、男の子が小鮒を釣っている。「うさぎ追いし、かの山。小ぶな釣りし、かの川。」まさに文部省唱歌「ふるさと」の風景であった。この歌は、千泉の人生そのものである。
祖父は多彩な趣味を持ち、よく言えば風流な人であった。しかし変化に弱い人だった。終戦の前と後、環境が激変する中で、うまく世渡りすることができなかった。千泉と弟は、いつも飢えていた。ひもじい思いばかりしていた。これだけ働いても、おなかいっぱい食べられないのは、なんでだろう。田舎に住んでいて、農業もやっているのに、それでも飢えていた。日本中が飢えていた。そして、弟は栄養失調で亡くなった。千泉は家族の写真を大切にしている。弟の写真は、おそらく母の生存中に撮影されたものだろう。きれいな服を着ており、写真館で撮影された立派な写真だった。父を戦争で亡くし、母を病で亡くし、弟を栄養失調で亡くした。弟を亡くした時のことを語ろうとすると、千泉は言葉が出てこなかった。
千泉は幼い頃に2回、神秘的な経験をした。千泉は「神さんがおりてきた」と表現するが、霊感を感じる、将来が見える、そのような能力がおりてきたのだろうか。千泉が言う、5歳と7歳の時とは、ひょっとすると父が亡くなった、母が亡くなった時ではないだろうか。もともと霊感が強かった少女が、肉親の死をきっかけとして才能が開花したのかもしれない。
千泉は幼い頃から、「人の将来は見える。しかし自分の将来は見えない。」という能力が冴え渡っていた。ある時、村で葬式を出そうとしていた。戦争に行った男性が、もう何年も帰ってこなかった。村人は、もう戦死したのだろうと判断し、葬式の準備をしていた。男性の写真を見た千泉は大きな声を出してしまった。「そのおじちゃん、生きているのに、なんでお葬式するの?もうすぐ帰ってくるよ!」村人はそれを聞き、千泉を叱りつけ、土蔵に閉じ込めた。お仕置きのため、千泉は翌朝まで閉じ込められることになった。土蔵にはヘビがいた。農村でよく見かける、アオダイショウだろう。千泉がヘビに話しかけると、なにも危害を加えずに去っていった。翌日、その男性は本当に帰ってきた。千泉の発言は子供の遊び、ただの偶然ということにされてしまった。それ以降、千泉は予知能力を表に出さないようになった。
小学校に行っても、千泉は文房具が買えなかった。とにかく貧しかった。本を読むことが好き、お話を書くことも好き、勉強も好きだったが、文房具が買えないのは辛かった。今のように100円ショップで気楽に買える時代ではなかった。文房具は高級品だった。千泉の家だけではない、もっともっと貧しい家庭もあった。終戦直後は誰もが貧しく、苦しい時代だった。若い男女がお見合いする時に、つぎはぎだらけの服を着て会うような時代だったのだ。
やがて千泉は、目を悪くした。栄養失調のため、失明の寸前だった。(続く)