「あなたは将来、本を書く。戦争の本だよ。表紙は戦闘機だね。」

この言葉を思い出した時、私は絶叫してしまった。たまたまクルマの運転をしている時で良かった。

私は2022年5月25日に【思いをつなぐ 英語で学ぶ、日本の矜持。】という本を出版した。出版社は、心書院株式会社という。ぜひ楽天やAmazonで画像検索して欲しい。表紙はゼロ戦である。

「あなたは将来、本を書く。戦争の本だよ。表紙は戦闘機だね。」と言われたのは、21歳の頃だった。とある小料理屋で、ママさんから言われた。噂によると、ママの占いはものすごく当たるらしい。小料理はたいそう繁盛していた。マスターやバーテンダー、お姉さん達がキビキビと働いている。お客さんは中高年の男性ばかりだった。学生の私は場違いのように感じて、もじもじしていた。酔っ払った常連客がからんできた。「若い兄ちゃんだな、珍しい。あんたも占ってもらいに来たんだろ?ママの占いは当たるよな。占いというか、予言だな。千里眼というやつかな。」

私は「千里眼」と聞いて、鈴木光司の小説「リング」を思い出した。ホラーは苦手だから、つい、しかめっ面をした。その様子を見た常連客は「あん?兄ちゃん、俺の言うことを信じないのかい?ママは将来が見えるんだぜ。俺もずいぶん助けてもらった。俺はこう見えても、病院を経営しているんだ。あの男を見なよ、あいつはここの市長だぜ。その隣は、やり手の経営者だ。この店は、そういう連中が集まるんだよ。みんな、不安だからさ、ママに相談したくなるんだよ・・・」

この後は、記憶が飛んでいる。酔っ払っていたのかもしれない。気がつけばママと話をしていた。私は当時、大学3年生で、そろそろ就職活動が気になっていた頃だった。ママに、どんな仕事が向いているか質問してみた。自分のフルネームと生年月日を伝え、15分くらい話をしていた。ふと、ママが言う。「あなたは将来、本を書く。戦争の本だよ。表紙は戦闘機だね。」

私は否定した。「読書は好きだけど、作文は嫌いです。戦争のことなんて、なにも知りません。ありえないですよ。」ママはニヤリと笑って、「まあ、見てなさい。私の言うことは当たるから。ただし、あなたは本を書く前に、相当な苦労をする。並大抵じゃないよ。でもそれを乗り越えたら、その後はきっとうまくいくよ。がんばりなさい・・・ああ、別のお客様から呼ばれてるから、行くわね、またおいで。」そう言い残して、ママは席を離れた。

それから20年が過ぎた。私は40歳の時に、うつ病を発症し、その後は希死念慮で苦しんだ。自殺の一歩手前で、走馬灯がぐるぐる回り、特攻隊の遺書と遺影が脳内をかけめぐった。特攻隊がきっかけで自殺から脱却でき、特攻隊のことを調べまくった。外国人が書いた特攻隊の本も読んだ。そして【思いをつなぐ 英語で学ぶ、日本の矜持。】を書いた。出版した時は、45歳になっていた。

私は小料理屋に行きたい、もう一度ママさんに会いたいと思った。たしかママさんは40歳ほど年上だった。「まだご存命かな。ひょっとして・・・」そう思いながら、小料理屋に電話してみた。ママはお店にいたし、私のことを覚えてくれていた。

「出版おめでとう。ね、私が言ったこと、当たったでしょう?お店はね、コロナの影響もあったし、もう80歳を超えたし、50周年を区切りにして、もう廃業しちゃったのよ。でも、遊びにおいで、お話しましょう。」と言ってくれた。私は車に飛び乗って、ママのお店に向った。

ママは言う。「あなたがお店に来た頃、私も大変だったのよ。お店ではそんな素振りは見せられないし、誰も気づいてなかったけど、私も死ぬような思いをして、毎日を過ごしていたんだよ。私の両親は、7歳の頃に死んだのよ。弟は栄養失調で死んだ。私は7歳から、働きづめに働いて、今があるんだよ。あなたは作家になったんだよね。私の本を、書いてくれないかしら。あなたに書いて欲しい。あなたが私の本を書けば、絶対に売れるわよ。映画にもなる。」

私は正直、迷っている。今も迷いながら、書いている。ママの話をインタビューさせてもらった。話はバツグンに面白い。なんせ「アメリカの大統領にも会ったのよ、大統領の方から私に握手を求めてきたんだから」そんな話がゴロゴロ出てくる。時間を忘れてインタビューした。でも、ママさんも、いい年である。時々、矛盾したことを言ったりする。

「アメリカの大統領って・・・ホンマかいな?」そう思いながら、私はGoogle検索してみた。すると、本当に、ママが言った通りの場所に、来ていた。しっかり調べれば、ひょっとしてママと大統領が握手している写真も、見つかるかもしれない。

ママは占いは、有名だった。その名は、海外にまで届いていたらしい。ママは言う。「私は占いの仕事で、ヨーロッパとかアジアとか、いろんな所に行ったのよ。ある時は、無人島に連れて行かれてね。その人、ホテル王だったのよ。それで私に聞くわけよ、『この場所にホテルを建てて良いですか?』って。そんな話は、たくさんあるのよ。今でも、この土地に家を建てたいとか、家の方角を見てくれっていう相談は、しょっちゅうあるわよ。」

「ある時、お坊さんが2人でやってきたのよ。お寺さんから仏像が盗まれて、困っていたの。私はこう言ってあげた。『お仏像があった所に、フカフカの座布団を敷いて、待っていなさい。』すると、数日後に戻ってきたのよ。ある港から不正に輸出される直前、見つかったのよ。・・・私には、見えるのよ。未来が。」

「私は仏教でも神道でも、格式ある所で正式な修行をして、お免状をもらっているのよ。そういえば、暴力団に入った若者を、連れ戻したこともあるわよ。別の暴力団の話だけど、親分さんが組を解散したいっておっしゃるから、ちゃんと組員さんが生活できるように手配したこともあったわね。赤ちゃんが生まれて、名付け親になったことは100回以上あるし、しかも全部お名前は違うのよ。宗教とかお金、男女トラブル、そういう相談は数えきれないわね。」

ママさんは、仕事運は絶好調であった。50年も自分のお店をやってきて、いつも繁盛していた。しかし、ママは自分の将来は見えないらしい。人のことは見えるけど、自分と家族のことは、見えない。ママは家庭や健康面で、大変な苦労があった。人の何倍も苦労している。お客さんはママにいろんな相談をする、しかしママは誰にも相談できない。だから仏教や神道の修行に没頭したのだろう。一時期は、尼さんのように頭も丸めていたそうだ。

こうして私は、ママの物語を、小説として書くようになった。私は日頃、小説を読まない。小説の作法も知らない。小説というより伝記、エッセイかもしれない。私には荷が重いと感じて、断ろうと思った時もある。しかしママの次の言葉を聞いて、力になりたいと思ったのだ。

「私も、もう85歳を超えたから。いつお迎えがきてもおかしくない。私が死んだら、近所に観音像を建てて欲しいんだ。夢を叶える観音様。私は死んだ後も、みんなの悩みを聞いて、みんなの願いを叶えてあげたいのよ。観音像だけじゃなくて、ちょっとした小屋があってお茶が飲めて、きれいなお花がたくさん咲いているの。そういう所があったら、いいでしょう?みんな、苦しんでいるから。みんな、悩んでいるから。私も苦しかった。なんのために生きているんだろうと思った。人生の意味はなんだろう、本物の人間ってなんだろうと思った。なんで自分の人生は見えないんだろうと思った。でも、最近はなにか、わかった気がする。みんなに伝えたいことがある。でも、まだ言葉にできないことがある。あなたがインタビューして、私から言葉を引き出してよ。頼むわよ。お願いするわ。」

この小説を書き出した時には、タイトルは決まっていなかった。ひとまず『広目天の祈り』というタイトルで進めよう。どのような小説になるのか、私にもわからない。とにかく最初の一歩を踏み出した。